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会長のつぶやき

第三十回

2020-12-01
私たちは、近年数多くの自然災害や事故、遡(さかのぼ)ると戦禍(せんか)にも見舞われてきました。そして今、新型コロナウイルスの感染という稀(まれ)に見る脅威にさらされています。その度に多くの人命が失われ、大切なものが奪われるという被害を被(こうむ)ってきました。
 
そして各地では、その犠牲者を悼(いた)み追弔法会(ついちょうほうかい)が執り行われていますが、実はこの追弔会法要(ついちょうかいほうよう)ということは、ただ単に亡くなられた方々を偲(しの)んだり、供養したりすることだけではないのです。
 
普通私たちは、「時」ということを考えるとき、「過去・現在・未来」という流れで受けとめていますが、仏教では「過去・未来・現在」というとらえ方をします。
 
今日(こんにち)の私たちは、過去に起きた災害や事故や戦争という出来事から、「私たちの犠牲を無駄にしてくれるな」と過去から深く願われている、そういう責任を担(にな)って生きているのでしょう。
 
同時に、私たちの今さえよければということで、何もかも使い尽くし利用し尽くしている現在の生活が、未来からおそらくは「あなたたちは未来のことをどう考えてきた」のか、「子や孫にどんな未来を残そうとしてきた」のか、と問われている、そういう過去と未来に問われている”現在(いま)“を生きているのでしょう。
 
亡き人を偲び法要を営むということは、過去と未来からの問いかけに気付かされる「学びの場」をいただくという大切な意味も持っているのです。
 
人間というものは、他の生き物とは違います。いろいろな違いがありますが、人間は人間に育てられないと人間になれないのです。
人間は未完成で、未熟なままで生まれてきます。ですから、何に出会い何を学ぶかによって大きく変わります。
 
犬や猫は完成されて生まれてきます。家で人間に飼われたり、動物園で飼育係に育てられたので、気がついたら人間になっていたということはありません。変わらないのです。
 
人間は、出会ったこと(もの)学んだこと(もの)によって、すなわち出会った縁(環境)によって変わるのです。環境次第でどうにでも変わってしまうのが人間なのです。
そういう意味では、人間は課題的存在といえます。まさに過去と未来から問われて、課題を生きていくものなのです。
 
ところが、私たちはその課題を忘れて、日常の目の前のことにとらわれそれに振り回されていくので、なかなかそういうことに気づきません。だからこそ、常に本来の在り方に引き戻してくれる”はたらき”に出会うことが、何よりも大切なことなのです。
 
今起こっている様々な出来事を通して、改めてそういうことを学び直し考えさせていただいて、本当の意味で”人間”を生きて往きたいと思います。
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