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会長のつぶやき

会長 武藤淳一
 
【生年月日】1942年(昭和17年)6月15日
 
【住まい】福島県会津若松市
 
【家族構成】妻、長男夫婦、孫2人の6人家族
 
【本職】寺院住職
 
【経歴】大学卒業後、教職を経て住職に。PTA役員、民生児童委員等を経験。
 
【住職として伝えたいこと】
「家庭」「生活」―人間として何をすること(ところ)なのかを学び実践すること
 
【仕事をする上で気をつけていること】丁寧(心を込めて親切に対応すること)
 
【座右の銘】身自當之しんじとうし無有代者むうだいしゃ(仏教の言葉)
意味:人生の中で苦しいこと、悲しいことに出会っても、誰も代わってくれないし自ら引き受けて生きていく
【尊敬する人】親鸞
 
【最近読んだ本】天地明察
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第六十六回

2024-10-02
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 今年は新年早々大地震に見舞われ、あろうことか同じ地域で大洪水の被害を被(こうむ)るという、未曾有(みぞう)の大惨事が起こってしまいました。二つの大災害を受けた能登地方の方々にはお慰めする言葉もありません。ただそれぞれが出来る限りのことをして復興を願うのみです。

 近年の雨の降り方は、線状降水帯の発生による局地的な大雨により、各地に多大な被害をもたらすという特徴があるようです。
 私たちがより便利で快適な生活を限りなく追い求め、一部の国が豊かな暮らしを謳歌(おうか)するために大気を汚し自然を破壊し続けています。その結果としてもたらされた地球規模での気候変動や自然環境の変化が、地球上のあらゆる生き物の生存を危(あや)うくしている状況を作っているのでしょう。
 そのような危機的状況をよそに国際社会では、各国間の利害関係をめぐるエゴや主義の違いから、泥沼とも言える戦争・紛争が、いつ果てるともしれず続けられ、国民にはかり知れない苦痛と悲しみ、絶望感をもたらしています。

 『忿(こころのいかり)を絶(た)ち、瞋(おもえりのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うことを怒(いか)らざれ。人皆、心有り。心各(おの)おの執(と)れること有。彼是(よみ)すれば則ち我は非(あしみ)す。我是(よみ)すれば則ち彼は非(あしみ)す。我、必ず聖に非ず。彼必ず愚(おろ)かなるに非(あら)ず。共にこれ凡夫(ただひと)ならくのみ。是(よく)・非(あしき)の理(ことわり)、詎(たれ)か能(よ)く定むべけん。相共に賢く愚かなること鐶(みみかね)の端(はし)無きが如し。是(これ)を以て、彼人(かれひと)、瞋(いか)ると雖(いえど)も、還(かえ)りて我が失(あやまち)を恐れよ。我独り得たりと雖(いえど)も衆(もろもろ)に従いて同じく挙(おこな)え。』

【意訳】(心に起こる)気にそまないことを憤(いきどお)る心を抑(おさ)え、思い込みによる怒りを離れ、人のあやまちに腹を立ててはならない。人はそれぞれに思いや考えがある。人の心にはそれぞれに執着(しゅうちゃく・こだわり)がある。人を良し(正しい)とすれば自分の思いは悪し(誤り)となり、自分を良しとすれば人を悪しとする。自分はけっして聖人(間違いのない人間)ではない。相手もまた愚かな(間違いだけの)人間ではない。お互い是(良し〉・非(悪し)両方を持つ人間同士なのである。是非(善悪、良し悪し)の道理をどうして判定など出来ようか。共に賢く愚かであることは、鐶(かん・金属の丸い輪)の端(はし)がないようなものである。このことを心得て、人が腹を立てたとしても、我が身を振り返り過(あやま)ちがないかどうかを気にかけよ。自分が得心(とくしん)したとしても、周りの人と協調して行いなさい。

 この言葉は、聖徳太子の「十七条憲法、第十条」によるものですが、聞きなれない言葉だと思います。しかしこの教えは、国民不在の混迷する現代社会に一石を投ずる言葉ではないかと思われますので紹介します。
 聖徳太子は、高慢心(こうまんしん)を戒(いまし)め、人間はともどもに善悪、良し悪しを併(あわ)せ持つ人間であるということで「平等」なのであるという真理を説いておられます。
 私たちは、己に執(しゅう)することで相手を貶(おとし)めたり卑(いや)しめたり、時には排除しようとしたりします。お互いが「愚かさ」を謙虚(けんきょ)に認め「敬愛」の心で接したいものです。

『怨(うら)みは怨みによって止(や)むことはない。怨みを棄(す)ててこそ止む。』(釈尊の「前生物語」より)

第六十五回

2024-08-14
 長い間ご無沙汰をし大変申し訳ありませんでした。体調不良ではと心配して下さる方もおられましたが、別に健康を害したわけではありません。御心配をいただき有難うございました。

 10数日に及んだオリンピックの熱戦も、わが国史上最多のメダル獲得という晴れがましい結果を残して幕を閉じました。しかし現状は、世界の状況を色濃く反映し、多くの課題を浮き彫りにしました。
 中でも、特に近年大きな社会問題になっているネット交流サービス(SNS)での投稿のあり方です。強盗殺人の仲間集めの呼びかけ(それに応じる若者たち)、投資やロマンス詐欺(さぎ)、被災地での偽(にせ)情報、うその救援要請など、目を覆いたくなるあるいは耳を疑いたくなるような投稿に溢(あふ)れている有様です。

 今回のパリ大会は、「炎上五輪(えんじょうごりん)」などと呼ばれ、選手への「謝罪」要求や「誹諦(ひぼう)・中傷」といった的外(まとはず)れな投稿が広がっているという。結果を出せず一番悔(くや)しい思いをしているのは、数年の間苦悩に耐え、血の滲(にじ)むような練習を重ねてきた選手たちです。健闘及ぱず敗れてしまったことを、もし詫(わ)びるとすれば、それは支え続けたコーチや肉親、そして共に戦ってきたかけがえのない仲間たちに対してであろう。そして常に励まし応援してくれた人々には、心から「有難うございました」の一言で十分なのではないかと思います。

 批評(批判)と非難の区別がつかず、直感的な感情のおもむくままに反応してしまう、そういう無秩序な状態になってしまっているのだと思います。 文明の利器であるスマートフォンの操作についていけないのは、私たち高齢者。高性能の機器に心がついていけないのが若年層の人たちでしょうか。

第六十四回

2024-02-27
 私たちの日常の行為は、なにをきっかけとし、なにに支えられて実行されるのでしょうか。過去にも、また今現在も人に感動を与え、勇気づけるようなことを成し遂(と)げていく人がいます。
 夢や実現したいと思ったことを、どうしてもやり遂げたいという強い願いが、実現への強い力となっていきます。スポーツ・芸術・研究・仕事・趣味など、あらゆる営みのベースに「願い」があります。映画を観るにしても、コンサートで歌や音楽を聴くにしても、その製作に携(たずさ)わった人たちと、それを鑑賞する私の願いが交錯(こうさく)し共有(きょうゆう)されて感動を生むのでしょう。

 ある本の中で、こんな喩(たと)えを目にしました。
 お寿司屋さんに裕福(ゆうふく)そうな客が入り、板前さんに注文をしました。
「この店の寿司の一番高いものから順番に握ってくれ」。板前さんは上客の来店に喜んで、高級な食材を使った寿司を次々に握って出しました。客はそれを食べていくのですが、ある寿司は口に運ばず床に落としました。驚いた板前さんは、「もしお嫌いなものがありましたら、お好きなものだけ握らせていただきますのでおっしゃって下さい」。客は「握った分の金は払う。食べるか捨てるかは俺が決める」と言った。
 もし自分がその板前だったら、どんな気持ちでそれから握り続けるでしょうか。お寿司屋さんは、調理した寿司(製品)を提供してその対価を得れば商取引が成り立つということならば、握ったすし(商品)がどうなろうと、換金(かんきん)できれば商売成立ということなのでしょうか。

 私たちは、たとえ収入が確保されても、それだけで満足できるとは限りません。おそらく多くの板前さんは、食べる人の満足や笑顔を願って、早朝から食材の吟味(ぎんみ)、保管、組み合わせ、タイミングなど、可能な限り知恵と技術と心を込めて準備します。その結果のお寿司ということでしょう。
 つまり、あらゆる「つくられたもの」の背景には必ず「願い」があり、その願いが踏みにじられるとそのことに関わった人はもちろん、そうでなくても辛(つら)くなります。それは農作物も大量生産の工業製品も同様です。物が集まって世界を構成していると思いがちですが、実は「願い」が集まって世の中は成り立っているのです。
 また「願い」には「目前の願い」と「根本の願い」があります。つまり、本当に実現したいことのためには、今、目の前の様々な誘惑や欲求(よっきゅう)は我慢できるのです。その根本の願いが本当にしっかりとあれば、少々嫌(いや)なこともできるし、やりたいこともコントロールできるでしょう。「願い」が明確であれば、決断ができ、実行の、また我慢の勇気が出てきます。
 私たちが、出来そうもないとやる前から尻込(しりご)みするのは、実は願いが本物でないか弱いかのどちらかなのでしょう。

 私は今、人間としてこの私として生まれ、与えられた環境条件の中で、さまざまな人や物とつながりながら生きています。この私にはどんな願いがかけられているのでしょうか。そして、私自身が根本のところで、この私自身に本当に願っていることは何なのでしょうか。願いを感じ、願いに生きる人でありたいと思っています。

第六十三回(年頭挨拶)

2024-01-04
 新年明けましておめでとうございます。
 年頭のご挨拶もはばかられるほどの、大地震に見舞われた元日となってしまいました。
 時間の経過とともに明らかになるその被害の大きさに、過去に繰り返された大震災の惨状と重ね合わせてしまいました。被災されて家を失い途方に暮れておられる方々には、心よりお見舞いを申し上げ、一刻も早く救援物資が届けられることを願うばかりです。また、お亡くなりになられた方々に対しましては、哀心よりお悔やみを申し上げます。

 さて、気を取り直して昨年を振り返ってみますと、いつ終わるとも知れない紛争により、命を奪われ、傷つき、家族や生活の場を失い路頭(ろとう)に迷う多くの人々の苦しみを思う時、底知れない人間の罪業(ざいごう)の深さに慄然(りつぜん)とさせられます。
 国内においても、政情不安、政治不信や各種の犯罪、事故の多発など、大きく揺れ動いた年でもありました。
 また、一時は収まりかけたように見えたコロナウイルス感染症も、次の流行が懸念(けねん)される一方で、インフルエンザ感染も警報級の広がりを見せていると報道されています。
 皆様と共に心から希望(昨年の干支癸卯(えとみずのとう)、音読みで「きぼう」)をもって新年を迎えられる日が来ることを願わずにはおれません。
 このような社会状況の中ではありますが、昨年も市民の皆様には変わらぬ御懇念をお寄せいただきましたこと、大変有り難く心より感謝申し上げます。
 さて、私ども社会福祉協議会は、令和3年に作成しました「第3次経営改善3ヶ年計画」が、今年で最終年となりますので、次の3ヶ年に向けて「中期経営計画」の策定に取り組んでいるところです。
 第2期地域福祉活動計画の基本理念である、「誰もが安心して暮らせるよう地域で支え合うあいづわかまつ」を踏まえ、その実現を図るために、「事業運営」「人材確保」「財源確保」を3本の柱として計画を進めていく方針であります。
 少子高齢化社会において人口減少に歯止めがかからず、働き手不足が危惧(きぐ)されている厳しい社会情勢を背景に、福祉の灯を絶やすことなく事業を推進していくことは、非常に大きな困難が伴うことが予想されます。今後はますます行政当局の支えと、市民の皆様のこれまで以上の後押しが欠かせないものとなります。
 今年もコロナやインフルエンザ感染予防を心がけながらの業務となりそうですが、職員一同心を一つに尽力して往きたいと考えておりますので、尚一層のご支援ご協力をお願い申し上げ新年のご挨拶とさせていただきます。

第六十ニ回

2023-11-29
 新型コロナウイルス感染症も第5類に移行以来、人々の行動に大きな変化が表れてきました。3年数ケ月に及ぶ不自由さから解放された喜びにあふれているように見えます。しかし完全に感染が止まったわけではなく、まだ予防対策に手を緩(ゆる)めるわけにはいかないようです。
 それでも以前に比べれば感染力は弱まり、元の生活に戻りつつあることは確かなようです。おかげ様で各種の事業や行事が復活し始め、会長としての出席頻度(ひんど)が急に増え、うれしい(?)悲鳴をあげています。

 先日仕事(社協の仕事ではありませんが)で、10月末と11月中頃の二度京都に行ってきました。予想通り新幹線も京都駅も外国人観光客で溢(あふ)れ、身動きできないほどの混雑ぶりでした。どこの国にいるのかと戸惑いながら、京都駅を離れるのに随分時間がかかってしまいました。

 11月16日付の「毎日新聞」にこんな記事が載っていました。
○新型コロナウイルスの感染が落ち着き、インバウンド(訪日外国人客)が急速に増加している。政府観光局が15日に発表した2023年10月の訪日外国人客数は、単月でコロナ禍前(2019年10月)の水準を初めて超えた。

○「ここは道路です。ダメです。」海外でも人気のアニメ「スラムダンク」のモデルになっている江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅近くの踏切周辺。警備員が車道にはみ出して写真を撮ろうとしていた観光客に注意した。10月の平日午後だったが、現地では海外からの観光客ら数十人が電車が通るたびに写真を撮影していた。
歩道に観光客があふれていたため、ジョギングをしていた地域住民が車道を通らざるを得なくなる場面があった。周辺にはパトカーが停車し「道路に飛び出たり、立ち止まったりすると危険。ルールを守って、楽しい鎌倉観光を」などと呼びかけていた。
この踏切の周りの住宅では、家の前で観光客が座り込み通りづらくなったり、人が多くて歩道を歩けなくなったり、お気に入りの角度から写真を撮ろうと、住民の自宅敷地内に侵入するケースが発生するなど問題が起きている。

〇北海道美瑛町は、丘陵地帯に広がる壮大な農村風景が写真映えすることで人気の観光スポットだが、観光客が写真を撮るため、私有の農地に立ち入り、生活道路や農道への違法駐車によって住民の交通に支障が出ているという。

○京都市ではバスを増便しているものの、増加する観光客に追いつかず、バスターミナルが混雑。地元住民が必要な時にバスを利用できない事態に追い込まれている。また芸妓(げいこ)・舞妓(まいこ)を無断で写真撮影するケースもあるという。

 観光客が増えることは有り難いことですが、地域住民にとっては、生活に支障をきたすことが多発しており、大変な迷惑をこうむっていることが大きな問題となっているようです。
 何れにしても最低限ルールを守り、そこに暮らす人々の迷惑にならないよう気を配ってほしいものです。

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