会長のつぶやき
第六回
2016-07-21
戦後も71年目という年月を経てきましたが、全世界の人々の願いである”平和の世”が、逆にどんどん遠ざかっていく方向に進んでいくのは何故なのでしょうか?
広島の平和記念公園の石碑には、全世界に発信されたメッセージとして、「…あやまちは二度とくり返しません」と刻まれています。人間という生き物の悲しい性さがでしょうか。平和を願う者同士が、意見の対立で諍いさかいを起こしてしまう、何とも切ない現実があります。
お経の中に「共命鳥ぐみょうちょう」の話が出ています。昔インドにいたとされる鳥で、鳴き声がとても美しいことで知られていました。姿も大変美しく、出会った者はその声と姿の美しさを絶賛したそうです。ただこの鳥は、胴体は一つですが頭が二つありました。
ある時、この二つの頭(仮にAとBとします)が、口論となりました。その頃からAは「みんな美しいと褒めてくれるが、その褒め言葉はいつも半分こで面白くない。みんなの注目を私一人に集めたい。そのためにはBがいなければいいのに」。その思いが高じてAはBに毒の実を食べさせてしまいます。ところが胴体は一つですから、Bが食べた毒でA自身も命を失うことになってしまいました。それを仏様が救いとってお浄土に放たれたということです。
私たちの命は、実じつはすべてが繋がっているのです。言い換えると、私たちは同じ命を分け合って生きているのです。ですから、繋がっている命同士が争うと、命全体が損そこなわれてしまうのです。
他を責めたり、憎んだりしたあげく、他を亡き者にして自らの思いを叶えようとする私たちの営みそのものが、繋がっている命全てを損なうことになるという、そういう深い懺悔ざんげがそこにはあります。
私さえ、私の家族さえ、私の会社さえ、わが民族さえという、私達のエゴの姿を言い当てていると感じさせられました。