会長のつぶやき
第二十二回
2019-03-08
最近歳のせいかどうかわかりませんが、現代社会における人間関係が、以前に比べて随分と違ったものになってきたなと感じさせられます。
特に地方では、町内や地域など身近な人たちとの付き合いは、互いに良いところもイヤなところもよく知っていて、それを承知の上で付き合っていました。しかし都会では、それぞれ良いところだけを見せての付き合いが多いように思われます。互いに都合の良いところだけで対応しようとすると、かえって相手のイヤなところがクローズアップして見えてしまいます。それはバランスの良い関係とは言えません。
私たちはいつの頃からか、日本中を都市化して、あらゆる不便や不快を排除し、自分のやりたいことが自分の都合通りにできることを目指してきたように思います。その結果として、今の日本ではあらゆる場面で個別化が進み、個人主義的生活や言動、またワガママを謳歌おうかしているように見えます。そしてそのことが人間関係を希薄化させ、問題の種になっている現実があります。
自分の思い通りにならないことに対する耐性たいせいの欠如けつじょから、現代人の多くは自分で自分を肯定できなくなると、説明できない攻撃性や喪失感を持つ傾向があるようです。それは外へ向かっては暴言・暴力・虐待・いじめなどになり、自分自身に向かうと、無気力・拒食きょしょく・自傷じしょう・引きこもり・自殺などにつながっていくようです。いま日本中が癒いやしのオンパレードなのは、その解消のためなのでしょうか。
人間を育てる原点は、何といっても家庭にあると思っています。
“三つ子の魂百まで’’(幼い時からその身に備わった性質は、歳をとっても変わらない)
“雀百まで踊り忘れず’’(スズメは生まれてから死ぬまでとびはねる癖が抜けないところから、幼い時におぼえた習慣は、歳をとっても変わらないことを言う)
家庭の中心は何か、人間を育てる基本をどこに、何に置くのか、私たちは今真剣に考えなければならないのではないかと思っています。