会長のつぶやき
第三十四回
2021-04-02
いま世界各地では、人種差別や性差別による人権侵害の問題が起こっています。内戦による避難民の悲惨な状況、少数民族への弾圧(だんあつ)や迫害(はくがい)、国民を守るためにある軍隊や警察が、こともあろうに自国の民(たみ)に向って武器を使用し、多くの死傷者を出すという出来事に、驚きとともにやりきれない思いにさせられています。
国内でも、施設職員による障がいを持つ人たちへ、また職場の上司による部下へのセクハラやパワハラ、いじめ、嫌(いや)がらせなどの多発、家庭内では子供への虐待、妻へのDV等、人を傷つける行為が頻繁(ひんぱん)に起こっています。また、コロナ感染の不安やストレスから、心無い言動が増えるなど、私たちの生活に暗い影を落としています。
私たちは、自分が幸せかどうかをどうやって確かめているのでしょうか。周りを見回してあの人よりはましだとか、あの人にはかなわないだとか、他人と比べないと幸せかどうかさえ分からないような状態になっていないでしょうか。
ひょっとすると私たちの幸せは、自分より下の人を見て初めて成り立つ(逆を言えば人より下になれば不幸)と思っているのではないか。だからいつも他人と比べずにはいられないのでしよう。
学校でも社会生活上でも個性を尊重するといいながら、その個性と思っているものが、実は同じ質のものが集まった中での強弱や、優劣、大小、勝ち負け、老若、健病などの違いでしかないということになっているのではないでしようか。
同じ質ということは、本来人間にはあり得ないことです。一人ひとりは全く独立の一人ひとりであり、他人とは違うのです。違っていいし、当然だし、違うことでしか成り立たないのです。
幸せは、他人と比べて確かめるものではありませんし、ましてや誰かが従属的(じゅうぞくてき)になり、我慢(がまん)をすることで成り立つようなものではないのです。
周りがどうであろうと、私が私であることを通して幸せであると実感できるかどうか、そのことが問われるのでしょう。
明珠在掌=みょうじゅ(何ものにも代えがたい宝物、幸せ)たなごころにあり(すでに自分の手の中にある)
私が私に安心して、他の人と共にいきいきと生きていける、どの人も居ていいんだという、そういうあり方を確かめていきたいものです。