会長のつぶやき
第三十六回
2021-06-03
当市での感染急拡大で心配したコロナ禍も、やや収まりを見せてきたようですが、依然として収束には至りません。国内でもワクチン接種を懸命に進めていますが、まだ大変な状態が続いており、けっして油断はできません。全国規模で、感染を防ぐことと経済を回すこととの狭間(はざま)で右往左往(うおうさおう)させられ、どこまでも悩みの種は尽きないようです。
私たちは、すべてのことに対して、同じように対応することはできません。一つのことに向き合う時には、一つの空間にしか居られませんし、一つのことしかできません。
昔「ながら族」という言葉が流行したことがありました。ラジオを聞きながら、テレビを見ながら受験勉強をするなど、同時にいくつかのことをしているように見える場合も、それぞれの瞬間には意識が注がれているのは一つのことです。
何かを選ぶということは、他のことを断念(だんねん)することになります。それぞれの瞬間で何を選ぶべきか、生活のなかでの優先順位をつけなければなりません。
大事なことには順番があります。出会った環境・条件の中で、まずしなければならないことは何だろうか。今現在、つまり過去の結果として、また未来の原因としての今現在、私が第一にしなければならないことは何なのか、よく考えなければなりません。
そのうえで、目の前の様々な誘惑や欲望に対してどうすればよいのか、社会人としてどう行動すべきなのかということなのでしょう。
仏教では「いのち」の問題を「一大事」といいます。
賜わったいのちを、どうすれば他のいのちと共に、安心していきいきと生きることができるのかという問題です。
その「大事」以外は「小事」で、それを「ご利益」とも言います。ご利益とは、私の都合に叶(かな)うように物事が進むことです。商売繁盛、無病息災、家内安全、入試合格など、願い通りになることを宗教と勘違いしては困ります。宗教の問題は、「一大事」の問題で、私の都合の問題ではありません。
いま時々刻々と移り変わっていく「今現在」を生きなければならない私たちは、物事の優先順位を見誤(みあやま)らないよう心がけていかなければならないのではないかと思います。