会長のつぶやき
第三十七回
2021-06-28
コロナ感染拡大がなかなか収まりません。収まりかけてはまた広がるの繰り返しで疲れ果て、もうどうでもいいというような雰囲気になり始めたのではないかと気にかかります。人と人との距離が離れたままでは暮らしが成り立たないのは当たり前なのですが、困った状況が続いています。
ここが踏(ふ)ん張りどころと分かっていても、長引けばどうしても気持ちが折れてしまいがちになります。しかし、最低限、密を避けマスクを着用して感染を防ぐしかないのも事実です。
経済産業省のキャリア官僚二人(ともに28歳)が、コロナ感染の影響で売り上げが減った個人事業主を対象にする、国の「家賃支援給付金」を騙(だま)し取ったとして逮捕されるという事件が報じられました。
いつもそうですが、災害など人の不幸を利用して悪事を働く不心得者が後を絶たないのは、人間の悲しい性(さが)なのでしょうが、切ない思いをどうすることもできません。
私たちの日常の学びについて、仏教では「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の「三学(さんがく)」が教えられています。「戒」は良い生活習慣を身につけること。「定」は身心を静かにして精神を集中し、思いが乱れないようにすること。
「慧」はその静かになった心で正しく真実の相(すがた)を見極(みきわ)めることです。つまり、規律ある生活により心がよく落ち着き、そこで正しい世界観が持てるようになるということ。逆に言うと、正しく真実の相(すがた)を見極める智慧(ちえ)は、安定した身心から生まれ、その心身の安定は規律ある生活によって得られるということです。
「戒」はインド語「シーラ」の訳語で、本来は習性・習慣の意味ですが、反復(はんぷく)習慣的に修習(しゅうしゅう)すべき行持(ぎょうじ)(修行生活)を言います。それが習慣化すると「身に威容(いよう)あらしむ」つまり容姿(ようし)に表れるようになります。
幕末に欧米を訪れた武士が、出会った人たちから尊敬の念をもって接せられたのは、文化の違いを超えて、人間として風貌(ふうぼう)や立ち居振る舞いに、人の心を動かすものが感じられたからなのでしょう。
芸術でもスポーツでも他のどの分野でも、本物になるためには、まずその基本を繰り返ししっかり身につける。そこで初めてその人独自のオリジナルが力を持ちます。
そしてさらに人間生活者としての基本が身につけば、目先の誘惑や欲望に振り回されないブレーキがかかる。生活の中にこれだけは譲れないという規範や誇りが生まれます。
生活を整える基本は、仏教の「中道(ちゅうどう)」の教えです。すなわち極端(きょくたん)を離れてバランスよく暮らしを立てるということです。睡眠や食事の偏(かたよ)りは、身心に重大なストレスを与え、知らぬ間にイライラしたり、集中できなかったり、続かなかったり、我慢(がまん)ができなくなったりします。
まず誘惑のスイッチを切り、生活と身の回りを整えることから始めましょう。
ここが踏(ふ)ん張りどころと分かっていても、長引けばどうしても気持ちが折れてしまいがちになります。しかし、最低限、密を避けマスクを着用して感染を防ぐしかないのも事実です。
経済産業省のキャリア官僚二人(ともに28歳)が、コロナ感染の影響で売り上げが減った個人事業主を対象にする、国の「家賃支援給付金」を騙(だま)し取ったとして逮捕されるという事件が報じられました。
いつもそうですが、災害など人の不幸を利用して悪事を働く不心得者が後を絶たないのは、人間の悲しい性(さが)なのでしょうが、切ない思いをどうすることもできません。
私たちの日常の学びについて、仏教では「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の「三学(さんがく)」が教えられています。「戒」は良い生活習慣を身につけること。「定」は身心を静かにして精神を集中し、思いが乱れないようにすること。
「慧」はその静かになった心で正しく真実の相(すがた)を見極(みきわ)めることです。つまり、規律ある生活により心がよく落ち着き、そこで正しい世界観が持てるようになるということ。逆に言うと、正しく真実の相(すがた)を見極める智慧(ちえ)は、安定した身心から生まれ、その心身の安定は規律ある生活によって得られるということです。
「戒」はインド語「シーラ」の訳語で、本来は習性・習慣の意味ですが、反復(はんぷく)習慣的に修習(しゅうしゅう)すべき行持(ぎょうじ)(修行生活)を言います。それが習慣化すると「身に威容(いよう)あらしむ」つまり容姿(ようし)に表れるようになります。
幕末に欧米を訪れた武士が、出会った人たちから尊敬の念をもって接せられたのは、文化の違いを超えて、人間として風貌(ふうぼう)や立ち居振る舞いに、人の心を動かすものが感じられたからなのでしょう。
芸術でもスポーツでも他のどの分野でも、本物になるためには、まずその基本を繰り返ししっかり身につける。そこで初めてその人独自のオリジナルが力を持ちます。
そしてさらに人間生活者としての基本が身につけば、目先の誘惑や欲望に振り回されないブレーキがかかる。生活の中にこれだけは譲れないという規範や誇りが生まれます。
生活を整える基本は、仏教の「中道(ちゅうどう)」の教えです。すなわち極端(きょくたん)を離れてバランスよく暮らしを立てるということです。睡眠や食事の偏(かたよ)りは、身心に重大なストレスを与え、知らぬ間にイライラしたり、集中できなかったり、続かなかったり、我慢(がまん)ができなくなったりします。
まず誘惑のスイッチを切り、生活と身の回りを整えることから始めましょう。