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会長のつぶやき

第四十回

2021-09-29
 何年前になるでしょうか、「世界に一つだけの花」という歌が、多くの人の共感を呼び流行しました。
 他人と比べてナンバーワンにならなくてもいい。あなたはもともと世界に一つだけのオンリーワンなのだから、勝ち負けに縛(しば)られず、オンリーワンとしての自分を大切にすればいいということで、多くの人の気持ちが楽になったようです。
 しかし、そのオンリーワンの花は、どこに咲くのでしょう。また何の力で咲くのでしょう。私が私の花を咲かせたいと思えば思い通りに実現するのでしょうか。

 加賀千代女(かがのちよじょ)という俳人が詠んだ「うつむいた処(とこ)が臺(うてな)や菫草(すみれぐさ)」という句があります。
スミレの花をよく観ようとうつむいたのでしょうか。そこで見つけたのは、スミレの花(私たち)を黙って支えている台(うてな-大地)であったということです。

 私たちの生活のすべては、どのようにして成り立っているのでしょう。私たちは何の上に生活しているのか。つまり私の足の下はどうなっているのか。そのように見つめ直してみろと、私の生活、人生のすべてが、現に支えられていたと気づかされます。そういう大地(うてな)がこれまでもこれからもあるのだと。快不快、損得、勝ち負けの一切は、その上の出来事なのでしょう。

 仏陀釈尊(ぶっだしゃくそん)(おしゃか様)は「人生は苦(く)なり」と説かれました。その苦とは、人間として生まれ生きることは、思い通りにならない(不如意(ふにょい)-意(い)の如(ごと)くならず)ということを表しています。その思い通りにならない人生に耐え、受けとめていく場を「娑婆(しゃば)(堪忍土)(かんにんど)-今現に生きている世」といいます。そしてその娑婆の不如意が、実は人間が人間に成り、人間が人間であるために大切な意味をもっているのです。
 しかし、何の支えもなく孤立無援の者にとっては、娑婆の不如意を生き抜くことは困難で、ひたすら娑婆の都市化(如意-意のごとくなる)を目指すことになってしまいます。

 自分の思い通りには進まない人生だけれど、安心できる大地(うてな)は、すでに私の足下で支え続けていると知るとき、不如意の娑婆が学びの場となります。
 その学びの場を通じて人生が深まり(価値観の変化)、人間に生まれた私が、あらゆる生命(いのち)とのつながりの中で、生かされて生きていることの意味や喜びが実感(生き方の確立)できるのでしょう。
 代行不能、比較無用の尊い人生を、本当に尊いものとして生きてゆきたいものです。
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