会長のつぶやき
第四十七回
2022-05-11
新年度が始まってひと月が経ちました。連休中は、コロナから解放されたかのように、人々が行楽(こうらく)を満喫(まんきつ)していました。このしわ寄せが来ないことを祈るばかりです。
学校や社会の一年生の皆さんは、新天地での生活の疲れが出る頃といわれますが、しっかり休養をとって身心のリフレッシュをはかり、力強い歩みを続けてほしいと願っています。
環境・条件など、いろいろなことの変化や違いに戸惑いながらも、新しい友や先輩との出会いなど様々な物事が、今までとは違って見えることに驚きをもって気づかされているのではないでしょうか。
逆に先輩となった人も、少し前までは自分のことだけで精一杯だったのに、知らぬ間に後輩のことや全体のことに目を向けている、そういう自分を発見することもあるのではないかと思います。
自分はそのままで変わらないつもりでも、他との関わりの中で必ず変化します。自分が歩んできた過去の全てと異なる現在(いま)を経験しているのです。
ある方の詩に「まっさらな朝」という言菓がありますが、人類始まって以来誰も経験したことのない朝を、私たちは毎日迎えているのです。
その新しいものとの新鮮な出会いを通して得られる、他者(差異ちがい)の発見という驚きを伴った経験が、私たちの次の人生(未来)への意欲となるのでしょう。
こんな発想・見方・考え方・手順・組み合わせ・整理の仕方があったのか。こういう仕組み(構造)・論理になっていたのか。人間はここまで出来るのか。百メートルを10秒を切って走ることなど出来ないと思われていたが、ひとたびその壁が破られると世界中で続々と同様の記録が出、更新されていきます。不思議だと思いますが、できるという事実に出会うと、驚くとともに並び超えられていくのです。
それまでは当然と思われていたことが、覆(くつがえ)されていく快(こころよ)さを経験してほしいものです。それは自分が開かれていく快感です。脱皮というか快い変化、成長です。
そして、そこで改めて人間に出会うのです。こんなに違っているけれども人間同士なのだという感動が開かれます。即ち人と違ってしか私は成り立たないし、私は私としてしか生きられないことに気づかされます。しっかりと自分に向き合い、この私でよかったと安心できる私(自己)を発見し、私を引き受けた時にバラバラが成立し、いっしょの世界が開けてきます。
釈尊(しゃくそん「おしやか様」)の「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉は、私が私として尊いということで(自分だけが尊いということではありません)、そういう独立者としての私として生きるからこそ、他のあらゆる人と環境を共にし、連帯して生きていける。新人も先輩も、共に生きていける世界が開かれてくるのでしょう。