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会長のつぶやき

第四十八回

2022-06-08
「人間は一生を通して誰になるのでもない、自分になるのだ」という言葉に出会いました。
 まず気付いたことは、この"自分になる"ということが、実に大変な大仕事だということです。

 美空ひばりという方がおられました。生前、非常に嫌った言葉があったそうです。それは「あの人は器用だ」と言われることです。
子供のときから大人の歌を上手に歌えたのですから、私もそう思っていました。
 しかし、考えてみれば、人知れず重ねてきた苦労努力を私たちはほとんど知りません。確かに天性の素質はあったのですが、それだけで歌手になれるわけではありません。それこそ血の滲(にじ)むような努力を知らないで、ただ天才とか器用とかで片付けられることを嫌ったのでしょう。努力すれば誰でもなれるかというとそうはいかないことも確かです。
 私がどれだけ頑張っても大谷選手や美空ひばりさんにはなれないことは言うまでもないことなのですが、問題はそんな特別の人に限らず、あの人のようになれと言われたら、それが誰であろうとこれは大変難しいことだということです。結局自分は自分にしかなれないのです。
 では、自分が自分になることは易(やさ)しいのでしょうか。

 おたまじゃくしは、放っておいても蛙(かえる)になるという一大変身を見事に遂(と)げます。学校へ行って習うわけでもなく、親が手を取って教育するわけでもないのです。放っておいてもちゃんと蛙になります。鮭(さけ)なども孵化(ふか)した時にはもう親はいないのです。けれども四年ほどすると、ちゃんと一人前の鮭になって帰ってきます。
 ところがチンパンジーになると、子どもの時に母親から乳を飲ませてもらった経験がないと、子供を産んでも乳を飲ませてやることがわからず、飢(う)え死にさせてしまうそうです。つまりおたまじゃくしや鮭とは違うのです。高等動物になるほど、生まれてから親の姿に出会い、学ぶということがなければ一人前になれないということなのです。
 ですからチンパンジーがそうであるように、人間が本当の人間に成る、母なるがゆえに本当の母になる、夫婦であるからこそ本当の夫婦になるということは、ただなれることではない。よくよくそういう縁に会い、学ばなければ一生ならないで終わる。いや、なれないということさえ知らないで終わってしまう。
 そうすると自分が自分になるということは、決して簡単なことではないようです。人間は、真実の教えに遇(あ)えてこそ始めて自分になれる。人間に成れるのです。
 このように同じ動物でも、おたまじゃくしや鮭は、学習しなくても蛙になれるし鮭になれます。ところが高等動物になるほど、見て習わなかったら一人前になれない。その中でも、最も見て習う学習を抜きにして一人前になれないのが、私達人間なのです。
 人間に生まれ、人間の体をもって生まれてきているから、特別の教えに遇(あ)わなくても自然になれる、自己成就できると思っているなら、それは人間というものを、おたまじゃくしや鮭と同じものだと考えていることになるのではないでしょうか。
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