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会長のつぶやき

第五十四回

2022-11-30
 先日、久々に壮大(そうだい)な天体ショーを見させてもらいました。月と地球と太陽が一直線に並び、しかも天王星が月の裏側にかくれ(これは見えませんでした)たり、月が地球の影に入って色や形が変化するさまを、寒さも忘れてしばし見とれてしまいました。
 私の誘いに応えて、二人の孫とそれにつられて両親が外に出てきてくれて、いっしょに至福(しふく)の時を過ごしました。次は400年後に起きるそうなので、また一緒に見ようね(?)などと言いながら部屋に戻りました。
 悲しいことは、誰かに"悲しいでしょう"と言ってもらわなくても、何とか一人で悲しみに耐えられますが、うれしいことは、そばで共に喜んでもらわないと、うれしさが消えてしまうという性質のもののようです。
 この天体ショーも、外に誘った孫たちが一緒になって"ワー!すごい、きれいだね一"と言ってくれると美しさも喜びも二倍三倍に膨(ふく)らんでくれます。逆に"フーン、さむい"と言ってさっさと部屋に戻ってしまったら、美しさもうれしさも消し飛んでしまうのではないかと思います。

 「心の貯金をすると 笑顔の利子がつく」(あるお寺の掲示板の言葉)。心が豊かになると、笑顔で言葉や挨拶のやり取りができる幸せを享受(きょうじゅ)できるということでしょう。

 かつての日本の一つの風景に、老人と子供たちが触れ合っている姿があったように思います。子供と遊ぶ良寛(りょうかん)さまのように、各家に孫の相手をしている老人の笑顔が、不思議と双方の波長が合っていたように思います。そういう姿を見ることが少ないのは何故でしょうか。核家族や少子化というだけではないような気がします。
 豊かな「もの」を感じる中で、先程の老人と子供について思い当たったことは、本来、子供も老人も経済優先というか損得(そんとく)で動くものではないということです。だからこそ、老人が地域で尊敬され、子供が地域の宝として大事にされたのでしよう。少なくとも子供たちは、童話「裸の王様」に示されるように、金や力に振り回されない世界に生きているのです。

 私たちが求める幸せの大きな要素は、お金と力と健康に集約(しゅうやく)されると思われています。しかし、その金と力とは違う次元の幸せがあるということが、加齢(かれい)とともに見えてきます。お金があっても力があっても不幸であることは少なくないことを経験します。
 かつて不幸とは「貧・病・争」、つまり貧困(ひんこん)や傷病(しょうびょう)や人間関係のトラブルにあるといわれ、また犯罪の温床(おんしょう)は貧困と考えられていました。
 しかし、今経済的には豊かで健康で家庭環境に恵まれているとみられる子供たちが、心の中に大きな問題を抱えているようです。今の状況を見ると、自己の内的空白(ないてきくうはく)というか「透明(とうめい)な存在」という言葉に代表される存在感の希薄(きはく)さ、生きるリアリティ(現実感・生活実感・手応え)が感じられないこと、また周りとの関係が結べない、居場所がないというようなことが、子供にとって、いや大人にとっても、何か(反社会的なことも含めて)せずにいられない程の轡積(うっせき)となっているようです。

 「おじちゃん、おはよう。風邪(かぜ)よくなった。大事にしてね。」
 「おはよう、○○ちゃん。まだ少し咳(せき)が出るけどおかげでだいぶよくなったよ。有難う。」
 と、笑顔であいさつできる幸せをかみしめましょう。そして笑顔で言葉を交わし合う人間の中に生きている幸せを大事にしたいものだと思います。
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