会長のつぶやき
第七回
2016-11-10
いのち、生きる尊さとは!!!
「私は自分で生まれたくて生まれてきたのではない」と言う人がいます。確かにその通りかもしれません。
しかし、私が今、お預かりしているこの「いのち」は、生まれたくて生まれてきたのに違いありません。なぜなら、私は私の計らいで生まれてきたのではないからです。
「いのち」は生まれたいという願いをもって生まれてきたのに、その願いや意味や価値に気づかないだけなのです。
私たちのいのちは、誰かが生んだから誕生したというようなものではないのです。生まれたくて生まれてきたいのちは、まったく迷うことなく生きようとしています。今、この瞬間も、心臓が血液を循環させ、肺が酸素と炭酸ガスを交換し、内臓も神経も筋肉も、生きるという明確な目的のもとにはたらいています。
お腹がすくのも、喉が渇くのも汗が出るのも、みんな私を生かそうと生き生きとはたらいてくださっている証拠です。
そういうことに気づかされますと、何か大きな安心感が生まれてきます。そして、その見えないところではたらくはたらきにのって安心して生き、やがて生きる縁が尽きたときはいのちの故郷へ安心して帰らせていただく、こういう生き方が成就したことを「往生」(生きて往くということで、死ぬことではありません)と言います。
その安心に立ったとき、与えられた現実に怯まず、いのちを燃焼させ、自分のできる限りを尽くす意欲が出てきます。
自分の不完全さに気づき、その私が今さまざまないのちに支えられ、共に現に生きているということ、そしてそのこと自体が尊いのだということに思いが至ると、生きることへの元気が出てきます。
「生まれた意義と生きるよろこび」を見出していきたいものです。