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会長のつぶやき

第二十回

2018-11-29
今年もあとひと月と少々。私もおかげさまで元気に過ごすことができましたが、例年に増して忙しい年で、ずいぶん各地を回らせていただきました。錦秋の侯には、あちこちの美しい紅葉も愛でることができ、これは役得かなと楽しませていただきました。
 
自分の年齢のことはあまり気にかけずに過ごしてきましたが、もうすぐ喜寿を迎えるということで、周りがそのように接してくれるせいもありますが、やはり自分自身で「老い」を感じさせられることが多くなりました。
 
「老い」に至る人生の歩みは、どれ一つとっても「夢」ではなく「事実」です。老いの道中は、「叶かなわない」「意のままにならない」ことの中で、苦渋くじゅうを味わい、また悲しみのなかで人は教えに出会い、ものごとを正しく観ることを知ります。それは「あきらめ」ではなく「正しく観る」ことで、他人事ではなく「自分の事」として見えてくるのだと思います。
 
樹木に接していると、そこに様々な教えを感じとらせてもらえます。春に芽を吹き新芽が育ち、やがて新緑の季節となる。まるで孫が日に日に育っていくように…。
 
そして季節が移ろい、秋になり冬に向かおうとする頃、広葉樹は錦秋の彩いろどりを見せてくれます。人を紅葉もみじ狩りに向かわせるのは、錦秋の彩りと、自分の人生とを重ね合わせ、春の桜にはない「人生の趣おもむき」を感じさせてくれるからだと思います。
 
やがて落葉の季節ときを迎えます。しかしこのときにはすでに新芽が準備されているのです。
 
「老い」は単独であるものではなく、「いのち」の連なりであり、バトンタッチのときでもあります。
 
また大地へ還ることは、あらゆる「いのち」を生み出す源となるので、「老い」の果たす役割は「尊い」ものであるといえます。
「老い」もこのように考えてみると、自分のものと独占していることが間違いであることになります。自分の「老い」から解放されて「つながり」のなかで考えてみると、大きな「つながり」の中に連綿と続く「いのち」があります。そのなかに一人一人の「老い」があるということです。
 
このように「老い」も自分の手元から解放されて初めて、「衰おとろえる」ことから意味が転じて、大きな「いのち」としてよみがえるという世界が見えてきます。
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