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会長のつぶやき

第四十二回

2021-12-20
 ここ数年地球温暖化の影響と思われる災害が頻繁(ひんぱん)に起き、その度に甚大(じんだい)な被害を被(こうむ)っています。世界中の指導者が、その対策について議論を重ねていますが、結局は自国の利益を最優先する立場を離れることはできないようです。
 私たちが、より便利で快適な生活を求め、その欲望を満たそうとすればするほど、地球やそこに生きる命を脅(おびや)かす方向へと突き進まざるを得ないという結果を招いています。人類の発展が、好むと好まざるとにかかわらず、すべての存在を危(あや)うくしてしまうことを、もはや止めることはできないのでしょうか。

 以前「不如意(ふにょい)」(意の如くならず、思い通りにならない)ということについて書いたことがありました。
 仏陀釈尊が覚(さと)られた真理は、「縁起(えんぎ)の理法(りほう)」といわれる仏教の根本原理です。「縁起」とは「縁によって起こる」ということで、あらゆる物事は、どんな事でもそのことだけ単独で存在するということはあり得ません。全て関係し合うことで成り立っているということです。私たち一人ひとりも勿論(もちろん)関係性の中に生存しています。世の中に私に関係ないものなどないのです。言い換えると、全てはつながっているのです。私は、私以外の全てに支えられ、そして支えているのです。
 しかし、関係性の中にあるということは、物事は必ずしも自分の思い通りには進まないことを意味します。
 自分では知ることもできない数多(あまた)の条件(縁)によって、現在も未来も成り立つわけですから、自分に都合良くばかりになるはずがありません。それを「不如意」と言います。
 天気一つ思い通りになりません。降る条件が整えば雨が降り、照る条件になれば晴れます。ですから私たちが人生を生きるとは、不如意を生きることになります。そして、私たちの都合や願望と、不如意である現実とのギャップが「苦」となります。釈尊が「人生は苦なり」と語られたのは、不如意の現実を思い通りにせずには収まりがつかない私たちを、言い当てられた言葉なのでしょう。

 親も子も互いに選ぶことはできません。老化せずに長生きしたいといいますが、できるでしようか?不便や不快や不足は価値が低いからと改善しようとし、不如意に直面することを少なくしようと努めてきました。
 「ともに生きる」とは、不如意を生きることです。目を逸(そ)らさないことです。「思い通りにはならないが、成るようには成る」のです。

 不如意の現実をきちんと受け止めることが、目覚めのスタートです。思い通りにならない現実から逃避(とうひ)せず、そこで感じ、考える。そのことが私を本当の私にしてくれるのでしょう。
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