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会長のつぶやき

第四十四回

2022-02-01
 一時収まりかけた新型コロナウイルス感染でしたが、このところ変異したオミクロン株により、再び急激な感染の広がりを見せています。感染経路が不明な(発表されない?)状態で、子どもたちに蔓延(まんえん)し、特に仕事を持つ母親に大きな不安と負担を強いているようです。
 国をはじめとする行政や医療機関では、その対策に必死で取り組んでいただいておりますが、私たちもどれだげその指示に従って協力(これは他人ごとではないのですが・・・)していけるかが問われていると思います。
 国内外で、"ワクチンを接種しない自由""マスクを着用しない自由"(持病等は別)などと声高に主張している人々の姿が報じられていますが、そういうことが「自由」の中身なのでしょうか。カラオケや飲み会への参加など、コロナの感染はその人個人だけで済(す)む問題なのでしょうか・・・。

 この頃、見ず知らずの他人を巻き込んでの、いわれのない殺人や放火事件が続けざまに起きています。自分の思い通りにならない不平不満を、他人を巻き添えにして晴らそうとする身勝手な犯行は、決して許されない所業(しょぎょう)であり、たまたまそこに居合わせて犠牲になった人たちにはかける言葉もありません。

 仏教に説かれる、基本的生活規範(きはん)として「五戒(ごかい)」が教えられています。その第1は「不殺生(ふせっしょう)」です。生きようとするものを殺したり傷つけたりすることから遠ざかれという戒(いまし)めです。
 「殺生」はまた五つに分けられています。
 1、「自殺(じせつ)」 - 自らを殺してはいけないということ。
   振り返ってみると、自分の中にあるいきいきと生きようとする願いを、自分で妨げているということはないでしょうか。

 2、「他殺(たせつ)」 - 他人のいきいきと生きたいという願い、希望を殺す(奪う)こと。
   嫌(いや)がらせ、いじめ、誹誇中傷(ひぼうちゅうしょう)、パワハラ、差別などによって相手の心を傷つけ、生きる意欲や希望を無意識にでも奪ってしまったことはないでしょうか。

 3、「方便殺(ほうべんせつ)」 - 直接に手を下すことはなくても、他人や方法を使って辛(つら)い目に合うように仕向(しむ)けること。
   例えば、振り込め詐欺(さぎ)など。

 4、「歓喜殺(かんぎせつ)」 - 他人が死んだり、生きる意欲をなくしたりすることを喜ぶということ。「愉快(ゆかい)犯」。
   例えば、戦争は、敵国の兵士や国民が死に、傷つき、敗れることを望み喜ぶこともあるのでしょう。

 5、「呪殺(じゅせつ)」 - 恨(うら)んだり憎(にく)んだりする人の死を願うこと。
   「あんな人いなくなればいいのに」「あいつさえいなくなれば幸せになるのに」などと思ったことはありませんか。

 自分を深く見つめてみると、誰でも思い当たることの一つや二つはあるのではないでしょうか。私たちが生きるということは「ともに生きる」ということなのですが、そのことに気付くことは意外に難しいことのようです。
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