会長のつぶやき
第五十九回
2023-05-25
先日読んだ本の一節を引用させていただきます。
「かれは、われを罵(ののし)った、かれは、わたしを害した。かれは、われにうち勝った。(中略)」という思いをいだく人には、怨(うら)みはついに息(や)むことがない。(『法句経(ほっくきょう)』三 中村元訳)
実にこの世において、怨みに報(むく)いるに怨みを以(もっ)てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。(同上)
2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークの「世界貿易センター」に、ハイジャックした旅客機を衝突(しょうとつ)させるという衝撃(しょうげき)的な事件が起こりました。それはちょうど私が私学視察でアメリカに到着した翌朝のことでした。その訪問先であるクロスロード・スクールの理事長ポール・カミンズ先生は、ブッシュ大統領の声明の翌日に、「大統領の声明はWho (犯人)とHow(方法や程度)のみで、もっとも大事なWhy(原因や経緯)への言及がない。また自らを正義・善とし、それを攻撃するものを悪魔だと断定しているがいかがなものか」と、私たちにおっしやいました。テロ直後で、全米が興奮気味に報復(ほうふく)だ、戦争だと声高(こわだか)に叫んでいる時にです。
その識見(しっけん)と勇気にふれ、いろいろと考えずにはいられませんでした。アメリカを中心とする「世界」と、大地から汗を流して生産するところから一番遠いところで巨額のマネートレードが行われる「貿易」、そして自分たちこそが「センター」であるという、その「世界貿易センター」がテロ攻撃を受けて崩壊しました。テロが卑劣(ひれつ)で一片(いっぺん)の擁護(ようご)の余地(よち)もない行為であることは言うまでもありませんが、そこに何かしら新世紀の私たちの進む方向の大きな欠陥(けっかん)や思い上がりを思い知らされたように感じます。
仏教では、人間は「三毒(さんどく)の煩悩(ぼんのう)(貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち))」を持つと教えられています。
貪欲・・・自分中心の果てしのない、満足を知らない欲望充足(じゅうそく)活動
瞋恚・・・いつも他と比べて勝ちを目指し、負けて怒(いか)り、思い通りにならなくて憎(にく)む
愚痴・・・そういう自己の事実にまったく目を向けず、自覚することもなく、いつも自分の都合という物差(ものさし)で考え行動する
私たちの無自覚さの上に成り立っている文明そのものといえるようです。
そのことと同時に思われることは、先の世界貿易センターに象徴される今の私たちの世界に、「畏敬(いけい)」の心が見失われているということです。
自然を畏(おそ)れ自然を敬(うやま)う。人間を畏れ人間を敬う。人知(じんち)を超(こ)えたものを、人間を含めたすべての存在を支えている一切のものを畏れ敬う。
「畏れる」とは、その価値や力、偉大(いだい)なはたらきを認め、謙虚(けんきょ)になるということです。「敬う」も、意味や価値を理解し、尊び、丁寧に心を込めて対処するということです。自らの限界を知り、また自らを支える願いやはたらきの無限性を知ることです。
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしよう。一このことわりを他の人は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。(『法句経(ほっくきょう)』中村元訳)
死すべき人間同士が、不可思議(ふかしぎ)の力に生かされて今ともに生きている。その事実からすべてが始まると知らねばならない。