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会長のつぶやき

第六十四回

2024-02-27
 私たちの日常の行為は、なにをきっかけとし、なにに支えられて実行されるのでしょうか。過去にも、また今現在も人に感動を与え、勇気づけるようなことを成し遂(と)げていく人がいます。
 夢や実現したいと思ったことを、どうしてもやり遂げたいという強い願いが、実現への強い力となっていきます。スポーツ・芸術・研究・仕事・趣味など、あらゆる営みのベースに「願い」があります。映画を観るにしても、コンサートで歌や音楽を聴くにしても、その製作に携(たずさ)わった人たちと、それを鑑賞する私の願いが交錯(こうさく)し共有(きょうゆう)されて感動を生むのでしょう。

 ある本の中で、こんな喩(たと)えを目にしました。
 お寿司屋さんに裕福(ゆうふく)そうな客が入り、板前さんに注文をしました。
「この店の寿司の一番高いものから順番に握ってくれ」。板前さんは上客の来店に喜んで、高級な食材を使った寿司を次々に握って出しました。客はそれを食べていくのですが、ある寿司は口に運ばず床に落としました。驚いた板前さんは、「もしお嫌いなものがありましたら、お好きなものだけ握らせていただきますのでおっしゃって下さい」。客は「握った分の金は払う。食べるか捨てるかは俺が決める」と言った。
 もし自分がその板前だったら、どんな気持ちでそれから握り続けるでしょうか。お寿司屋さんは、調理した寿司(製品)を提供してその対価を得れば商取引が成り立つということならば、握ったすし(商品)がどうなろうと、換金(かんきん)できれば商売成立ということなのでしょうか。

 私たちは、たとえ収入が確保されても、それだけで満足できるとは限りません。おそらく多くの板前さんは、食べる人の満足や笑顔を願って、早朝から食材の吟味(ぎんみ)、保管、組み合わせ、タイミングなど、可能な限り知恵と技術と心を込めて準備します。その結果のお寿司ということでしょう。
 つまり、あらゆる「つくられたもの」の背景には必ず「願い」があり、その願いが踏みにじられるとそのことに関わった人はもちろん、そうでなくても辛(つら)くなります。それは農作物も大量生産の工業製品も同様です。物が集まって世界を構成していると思いがちですが、実は「願い」が集まって世の中は成り立っているのです。
 また「願い」には「目前の願い」と「根本の願い」があります。つまり、本当に実現したいことのためには、今、目の前の様々な誘惑や欲求(よっきゅう)は我慢できるのです。その根本の願いが本当にしっかりとあれば、少々嫌(いや)なこともできるし、やりたいこともコントロールできるでしょう。「願い」が明確であれば、決断ができ、実行の、また我慢の勇気が出てきます。
 私たちが、出来そうもないとやる前から尻込(しりご)みするのは、実は願いが本物でないか弱いかのどちらかなのでしょう。

 私は今、人間としてこの私として生まれ、与えられた環境条件の中で、さまざまな人や物とつながりながら生きています。この私にはどんな願いがかけられているのでしょうか。そして、私自身が根本のところで、この私自身に本当に願っていることは何なのでしょうか。願いを感じ、願いに生きる人でありたいと思っています。
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