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会長のつぶやき

会長 武藤淳一
 
【生年月日】1942年(昭和17年)6月15日
 
【住まい】福島県会津若松市
 
【家族構成】妻、長男夫婦、孫2人の6人家族
 
【本職】寺院住職
 
【経歴】大学卒業後、教職を経て住職に。PTA役員、民生児童委員等を経験。
 
【住職として伝えたいこと】
「家庭」「生活」―人間として何をすること(ところ)なのかを学び実践すること
 
【仕事をする上で気をつけていること】丁寧(心を込めて親切に対応すること)
 
【座右の銘】身自當之しんじとうし無有代者むうだいしゃ(仏教の言葉)
意味:人生の中で苦しいこと、悲しいことに出会っても、誰も代わってくれないし自ら引き受けて生きていく
【尊敬する人】親鸞
 
【最近読んだ本】天地明察
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第九回

2017-02-01
昔から教育は、知育・徳育・体育から成ると言われていますが、最近では「食育」を加えるよう提唱されているようです。
 
専門家によると、「キレる人ほどジャンクフード(低栄養価食品)やソフトドリンク類の飲食率が高い。そういうもので満腹にするとまともな食事が摂れない。そこでまた間食をする。二年ほど繰り返すと慢性化して、血糖値が上がった後急降下する低血糖値症候群になる。血糖値が下がったときが問題で、イライラして集中力がなくなる。するとアドレナリンが自然に出てくる。これは暴力ホルモン、闘争ホルモンですから、誰かが注意したりするとキレるようになる。」ということだそうです。
 
私は常々「食」(命あるものをいただく)は「薬」であり、健康のバロメーターは「快食、快眠、快便」であると思いそのように心がけています。
 
「食」とは、私たちの命と身心を養い育てて保ち続けるものです。いろいろな「食」が岨囁そしゃくされ、消化吸収されて私の体と命の一部となります。
 
食の安定は身心の安定をもたらし、意欲や行動にも大きな影響をおよぼします。出来うる限り偏りのない、旬の食材を食べるよう心がけ、身心を整え、意欲をもって生活や仕事に向き合っていきたいものです。

第八回

2017-01-04
新年明けましておめでとうございます。
皆様方にはそれぞれに新たな気持ちで新年を迎えられたことと思います。
 
日頃は、社協の事業に対しまして変わらぬご支援ご協力を賜わっておりますこと、改めてお礼を申し上げます。
 
さて、26年度より取り組んでまいりました「経営改善3ヶ年計画」も今年度が三年目となり、事業内容の見直しや地域活動への積極的参加など、経営基盤の強化への取り組みを進めてまいりました。おかげさまで相応の成果はみられましたが、経営基盤の安定には至っていないという厳しい状況であることには変わりがありません。
 
今後もさらに次の三年を目指して新たな取り組みの準備を致して居るところであります。
 
この度、当社会福祉協議会では、会津若松市が策定いたしました「地域福祉計画」に連動して「地域福祉活動計画」を策定いたしました。
 
このことについて市民の皆様に周知をはかると共に、活動計画に基づいて、誰もが安心して暮らせる福祉のまちづくりの実現に向けて、「支えあい、助け合い」を基本理念とした取り組みを進めてまいりたいと考えております。
 
これからも皆様方のご支援をいただきながら福祉事業の推進に努めてまいりたいと思いますので何卒よろしくお願い致します。
 
最後になりましたが、今年も皆様にとってより充実した年になりますことを念じましてご挨拶とさせていただきます。

第七回

2016-11-10
いのち、生きる尊さとは!!!
「私は自分で生まれたくて生まれてきたのではない」と言う人がいます。確かにその通りかもしれません。
 
しかし、私が今、お預かりしているこの「いのち」は、生まれたくて生まれてきたのに違いありません。なぜなら、私は私の計らいで生まれてきたのではないからです。
 
「いのち」は生まれたいという願いをもって生まれてきたのに、その願いや意味や価値に気づかないだけなのです。
 
私たちのいのちは、誰かが生んだから誕生したというようなものではないのです。生まれたくて生まれてきたいのちは、まったく迷うことなく生きようとしています。今、この瞬間も、心臓が血液を循環させ、肺が酸素と炭酸ガスを交換し、内臓も神経も筋肉も、生きるという明確な目的のもとにはたらいています。
お腹がすくのも、喉が渇くのも汗が出るのも、みんな私を生かそうと生き生きとはたらいてくださっている証拠です。
 
そういうことに気づかされますと、何か大きな安心感が生まれてきます。そして、その見えないところではたらくはたらきにのって安心して生き、やがて生きる縁が尽きたときはいのちの故郷へ安心して帰らせていただく、こういう生き方が成就したことを「往生」(生きて往くということで、死ぬことではありません)と言います。
 
その安心に立ったとき、与えられた現実に怯まず、いのちを燃焼させ、自分のできる限りを尽くす意欲が出てきます。
自分の不完全さに気づき、その私が今さまざまないのちに支えられ、共に現に生きているということ、そしてそのこと自体が尊いのだということに思いが至ると、生きることへの元気が出てきます。
 
「生まれた意義と生きるよろこび」を見出していきたいものです。

第六回

2016-07-21
戦後も71年目という年月を経てきましたが、全世界の人々の願いである”平和の世”が、逆にどんどん遠ざかっていく方向に進んでいくのは何故なのでしょうか?
 
広島の平和記念公園の石碑には、全世界に発信されたメッセージとして、「…あやまちは二度とくり返しません」と刻まれています。人間という生き物の悲しい性さがでしょうか。平和を願う者同士が、意見の対立で諍いさかいを起こしてしまう、何とも切ない現実があります。
 
お経の中に「共命鳥ぐみょうちょう」の話が出ています。昔インドにいたとされる鳥で、鳴き声がとても美しいことで知られていました。姿も大変美しく、出会った者はその声と姿の美しさを絶賛したそうです。ただこの鳥は、胴体は一つですが頭が二つありました。
 
ある時、この二つの頭(仮にAとBとします)が、口論となりました。その頃からAは「みんな美しいと褒めてくれるが、その褒め言葉はいつも半分こで面白くない。みんなの注目を私一人に集めたい。そのためにはBがいなければいいのに」。その思いが高じてAはBに毒の実を食べさせてしまいます。ところが胴体は一つですから、Bが食べた毒でA自身も命を失うことになってしまいました。それを仏様が救いとってお浄土に放たれたということです。
私たちの命は、実じつはすべてが繋がっているのです。言い換えると、私たちは同じ命を分け合って生きているのです。ですから、繋がっている命同士が争うと、命全体が損そこなわれてしまうのです。
 
他を責めたり、憎んだりしたあげく、他を亡き者にして自らの思いを叶えようとする私たちの営みそのものが、繋がっている命全てを損なうことになるという、そういう深い懺悔ざんげがそこにはあります。
 
私さえ、私の家族さえ、私の会社さえ、わが民族さえという、私達のエゴの姿を言い当てていると感じさせられました。

第五回

2016-04-18
若い人たちの、いじめ、自殺、殺人、薬物乱用、窃盗、公金横領、虐待、詐欺、誘拐監禁、賭博と実に多種多様にわたる出来事に、ただただ呆れるばかりで心が痛みます。
 
現代社会の一つの特徴は、科学が証明する事実の方により重きが置かれ、人間の価値が数字で表されるということがあります。いつの頃か私たちは、合理性の追求の中で「家庭」「家族」「生活」という、人間を育てる基本の場を見失ってしまったように思えます。
 
人という生き物は、生活の中で「拝む」という習慣を身につけていただき、人間としての感覚を育てられ、成長していく存在です。「拝む」ということの対象は「ほとけ様」で、すべての命を生み出し、育て、支え続ける<はたらき>そのもののことです。その<はたらき>に出会うことによって、人間として”してはならないこと”、”しなければならないこと”を的確に判断する感覚を身につけさせていただいてきたのです。そういう「拝む場」を取り戻すことが非常に大事なことだと思います。
 
現代人は、ものごとを理屈で考え、対処しようとする傾向がありますが、実は本当に大事なことは、理屈ではなく理屈を超えたところにあるということをもう一度思い返してみなければならないと強く感じています。

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