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会長のつぶやき

会長 武藤淳一
 
【生年月日】1942年(昭和17年)6月15日
 
【住まい】福島県会津若松市
 
【家族構成】妻、長男夫婦、孫2人の6人家族
 
【本職】寺院住職
 
【経歴】大学卒業後、教職を経て住職に。PTA役員、民生児童委員等を経験。
 
【住職として伝えたいこと】
「家庭」「生活」―人間として何をすること(ところ)なのかを学び実践すること
 
【仕事をする上で気をつけていること】丁寧(心を込めて親切に対応すること)
 
【座右の銘】身自當之しんじとうし無有代者むうだいしゃ(仏教の言葉)
意味:人生の中で苦しいこと、悲しいことに出会っても、誰も代わってくれないし自ら引き受けて生きていく
【尊敬する人】親鸞
 
【最近読んだ本】天地明察
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第二十一回

2019-01-04
新年明けましておめでとうございます。
 
市民の皆様方におかれましては、新たな気持ちで新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。昨年中は皆様方より温かいご支援を数多くお寄せいただきましたこと、この場をおかりしまして厚く御礼を申し上げます。
 
昨年は、社協創立70周年、老人福祉センター・希ららは開設40周年という大きな節目をそれぞれ迎えることができました。この記念すべき年にあたり、いくつかの記念事業・行事を実施させていただきましたが、おかげさまでどれも実りのあるものとなり、改めて社協が担うべき役割について考える大事なきっかけになりました。
 
5月に開校式が行われた「ボランティア学園」は、想像以上に受講希望があり、定員を超えた講座もあったほどで市民の皆様の関心の高さを感じさせられました。それぞれの講座で学んだ知識や経験を、ぜひとも今後の活動に生かしてほしいと切に願っております。
 
また、社協が全力で取り組んでおります「地区社協」設置事業も、地域の方々のご理解とご協力のもとようやく東山地区に「東山・人と地域をつなぐ会」として発足にこぎつけることができました。
 
地域の福祉課題を地域の人々の手で掘り起こし、共通認識に立って解決につなげていくことこそ、今望まれている地域福祉の向上を図る方向を示しているものと考えております。今年はさらに多くの地域にこの輪を広げていくよう取り組んでまいります。
 
社協創立71周年へのスタートとなる新年を迎え、役員・職員共々に「誰もが安心して暮らせるまちづくり」の実現に向けて力を尽くしていく所存でありますので、市民の皆様におかれましても、更なるご支援ご協力をお願い申し上げます。
 
結びとなりますが、今年一年が皆様にとりまして幸多い年となりますようご祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

第二十回

2018-11-29
今年もあとひと月と少々。私もおかげさまで元気に過ごすことができましたが、例年に増して忙しい年で、ずいぶん各地を回らせていただきました。錦秋の侯には、あちこちの美しい紅葉も愛でることができ、これは役得かなと楽しませていただきました。
 
自分の年齢のことはあまり気にかけずに過ごしてきましたが、もうすぐ喜寿を迎えるということで、周りがそのように接してくれるせいもありますが、やはり自分自身で「老い」を感じさせられることが多くなりました。
 
「老い」に至る人生の歩みは、どれ一つとっても「夢」ではなく「事実」です。老いの道中は、「叶かなわない」「意のままにならない」ことの中で、苦渋くじゅうを味わい、また悲しみのなかで人は教えに出会い、ものごとを正しく観ることを知ります。それは「あきらめ」ではなく「正しく観る」ことで、他人事ではなく「自分の事」として見えてくるのだと思います。
 
樹木に接していると、そこに様々な教えを感じとらせてもらえます。春に芽を吹き新芽が育ち、やがて新緑の季節となる。まるで孫が日に日に育っていくように…。
 
そして季節が移ろい、秋になり冬に向かおうとする頃、広葉樹は錦秋の彩いろどりを見せてくれます。人を紅葉もみじ狩りに向かわせるのは、錦秋の彩りと、自分の人生とを重ね合わせ、春の桜にはない「人生の趣おもむき」を感じさせてくれるからだと思います。
 
やがて落葉の季節ときを迎えます。しかしこのときにはすでに新芽が準備されているのです。
 
「老い」は単独であるものではなく、「いのち」の連なりであり、バトンタッチのときでもあります。
 
また大地へ還ることは、あらゆる「いのち」を生み出す源となるので、「老い」の果たす役割は「尊い」ものであるといえます。
「老い」もこのように考えてみると、自分のものと独占していることが間違いであることになります。自分の「老い」から解放されて「つながり」のなかで考えてみると、大きな「つながり」の中に連綿と続く「いのち」があります。そのなかに一人一人の「老い」があるということです。
 
このように「老い」も自分の手元から解放されて初めて、「衰おとろえる」ことから意味が転じて、大きな「いのち」としてよみがえるという世界が見えてきます。

第十九回

2018-09-07
「少子高齢化社会」ということが言われて久しいのですが、その少ない子供の世界に異変が起きているようです。子供の世界といってもそれは常に「大人社会」の投影なのですが、むしろ「人間」そのものの生き方に異変が起きているといえるように思えます。
 
教育も科学も改治も、「人間性」を育はぐくむことよりも合理性を基とした「学力」「経済」「効率」を優先した方向に進められ、私たちは「より便利に・より快適に」を合言葉として生きてきました。そして、今私たちの暮らしは、一見衣・食・住が満ち足りているように見えますが、本当に幸せを感じて生きているのでしょうか。
 
「衣食足りて礼節(礼儀と節度)を知る」(衣服や食物は生活の根本、それが満たされることにより心にゆとりが生まれ、礼節を知り、人間らしく幸せに生きることができる)という言葉がありますが、どうも今の日本は、その逆をいっているように感じられます。
 
眼を大きく見開くだけがよく見ることではないのです。眼を閉じることでしか見えないものがあります。懸命に耳を傾け必死で聞こうとするとき、また物体の表面のほんの僅わずかな凹凸おうとつを指先で知ろうとするとき、つまり集中しようとするときには思わず眼を閉じます。
 
私たちの眼は外向きにできているので、自分の外はよく見えているように思っています。しかし、見えたつもりのその外は、編集された虚像きょぞうであることが多く、直接体験として見ていることはまれなのではないでしょうか。
 
また、鏡に映らない自分の姿はどうやって見、その姿を成長させていくのでしょうか。
 
私たちは、自分の本当の姿ー怒ったり、悪口を言ったりしている顔、不ふ貞て腐くされたり、虐待やいじめをしている姿や態度、自分のすぐ近くにある背中など、生涯見ることができないのです。
 
やはり人間には、自分というものを隅々すみずみまで映し出してくれる鏡≪真実の教え≫がなくてはならないのでしょう。
 
自分の本当の姿を知ったとき、他人の不都合を一方的に攻めるだけでなく、自分の姿を重ね合わせて、それなりの物言いができるはずです。
 
そういう指摘なら、いわれた方も受け容れやすいでしよう。

第十八回

2018-06-14
ものごとをプラス・マイナスに分けて、マイナスをどうプラスに受けとめ、解釈して転じるかという「プラス思考」がもてはやされているようです。
 
もともと西洋と東洋(特に日本)では、ものごとを受けとめる感覚が違っていたようで、明治以降西洋的思考(合理性重視)を受け入れるようになってから変化してきたようです。
 
西洋には雨か雪のどちらか一方だけで、雨と雪が混じって降る「霙(みぞれ)」という言葉・概念はないのだそうです。
 
「生死」━これは「しょうじ」と読み、ものごとの成り立ち(必ず変化する)を表す言葉で、執着しゅうちゃくする心から生まれる「迷いの世界」を言いますが、今は「せいし」と読み、「生」と「死」を分けて考えるようになりました。「生」は輝かしいプラスで、「死」はマイナスで避けて通りたいと、視界から遠ざけようとする傾向が強まり、「死」から学ぼうとする感覚が薄れてきたように思えます。
 
いわゆる「プラス思考」━志向ですが、その基準はいつも「その時の私の都合」です。事実は厳然たる事実であって、私にとってのプラス・マイナスの価値は相対的なものでしかありません。辛く悲しいことはマイナスで、楽しく嬉しいことはプラスということではないのです。プラス思考に縛られて、マイナス(に見えること)に価値がないと考えることこそ問題なのです。眼前がんぜんの現実をいかにプラスに解釈し直すかに腐心ふしんする前に、与えられた事実としてそのまま引き受け、そこから出発するのです。
 
一見マイナスに見えることから、私たちはいかに多くのことを教わり学ぶか。けがや病気をしてはじめて気がつくこと、大切な人を失ってはじめて目を覚まさせられること、高齢になってつくづく感じることなどがあるのでしょう。
 
実は私たちは互いに不完全同士ということで平等なのです。わが身に起こっていることが、自分にとって好ましくなく感じられることがあります。しかし私たちには、縁あってこの身に受けた現実は誰も代わってくれる者はいないのです。いないというより、代わることそのことがあり得ないことなのです。
 
たとえその時、辛く悲しいことであっても、本気で自分のこととして引き受け、しっかりと現実に立ち向かおうとするとき、勇気や元気が出てくるのです。出来ることは惜しまずやりましょう。本当にできないことはできないと認めて、くよくよ悩まず、手伝ってもらいましょう。

第十七回

2018-04-16
今、私たちを取り巻く世界は、“共に生きあう”ということからはかけ離れた、人と人とが傷つけあう、底の知れない深い悲しみ、苦しみに満ちた世界を造り出しています。
 
国や一部の人間が、武力を背景に「利」を得ようとする傾向が強まり、私たちの国も、その流れに巻き込まれようとしています。
国の歩むべき方向を定める最高機関であるべき国会でも、国を動かすリーダーたる人々が、醜態しゅうたいをさらしながら恥はじることのない姿は、何ともつらく悲しい思いにさせられます。
次の時代を受け継ぐべき若者や子供たちに、どんな影響を及ぼすのか不安になります。
 
世の中には、殺されていい人なんて一人もいないし、人を殺す権利を持つ人もいません。いじめられるにふさわしい人もいなければ、いじめが許される人もいないのです。
 
どの人も皆尊い。その尊さをどんなことがあっても侵おかしてはならないし、その人が尊い人生を尊く生きようとすることを妨さまたげてはならないということです。
 
他人の人間性を奪い、差別し、無視していい気になっているその姿そのものが人間性を失っている姿です。極めて情けない姿です。
 
他の人の尊さを認めるということで、私たち自身が尊いと呼ばれるにふさわしい人間に成ることができます。人間性を回復することができます。
 
他の人間性を奪えば奪うほど、私自身が人間でなくなっていく。
そんなことを教えてくれる教えに皆が出会ってほしいと願わずにはいられません。そして、自分の尊さを裏切らない自分でありたいと思います。

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